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高松高等裁判所 昭和58年(う)179号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官柴田義二作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人島田清作成名義の意見書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は、要するに、「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和五五年二月三日午前一〇時一五分ころ、大型貨物自動車を運転し、時速約四〇キロメートルで公安委員会が大型貨物自動車の通行を禁止した徳島県阿波郡市場町大字市場字岸の下四九番地の二先付近道路を阿波町方面から土成町方面に向け進行中、前方道路左端を同方向に進行する酒井勝市(当時七二年)運転の自転車に追いついたのであるが、このような場合自動車運転者としては、同所が幅員約四メートルと狭隘なうえ、右酒井が高令であるから大型車両がその側方を通過すれば、同車と接触するか安定を失つて同人が転倒する危険が十分予測されたのであるから、直ちに減速して警音器を吹鳴して警告を与え、右酒井を一時停止させるか、同人が安全な場所に避譲するのを待つてその側方を通過し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、時速約一〇キロメートルに減速し約五〇メートル追縦したのち、警音器を吹鳴したのみで、時速約一三キロメートルに加速してその右側方を追い抜こうとした過失により、右酒井を狼狽させて路上に転倒させ、自車左後輪で同人の胸部を轢圧し、よつて左多発性肋骨々折、外傷性血気胸などの傷害を負わせ、右傷害により消化管出血を発病させ、昭和五五年三月五日午前七時五〇分ころ、徳島県麻植郡鴨島町鴨島二五二番地麻植協同病院において同人を死亡するに至らせたものである。」との公訴事実について、原判決が、被告人に対し、そのような業務上の注意義務を怠つたものとは認められないとして無罪を言い渡したのは、被告人の注意義務の有無についての判断の前提となる事実を誤認し、自動車運転者の追い抜きに関する注意義務についての法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないというのである。

そこで記録及び当審における事実取り調べの結果により検討すると、被告人は、公訴事実記載の日時・場所において、時速約四〇キロメートルで大型貨物自動車(車幅二・四七メートル、車長八・五七メートル)を運転して東進中、前方道路左側を同方向に足踏み二輪自転車で進行している酒井勝市(当時七二歳)を発見したこと、その付近は、公安委員会が午前七時から午後七時まで大型貨物自動車の通行を禁止しておる道路であり、道路の幅員が約四メートルと狭いうえに、同人が老人であつて、やや左右に揺れて不安定な感じがしたことから、被告人はその場での追い抜きを差し控え、二回警音器を吹鳴したのみで、約五メートルの間隔を保つたまま約五〇メートル追従したこと、被告人は、道路左側に接する側溝が有蓋となる部分に差しかかる手前で、再び警音器を吹鳴して、道路左側を走行中の酒井の進路を、道路上から有蓋側溝上に進路変更をさせ、同人の自転車ハンドルの右グリツプの先端と被告人車との間に約六〇センチメートルの間隔(なお、原審の検証調書によると、被告人は、酒井と被告人車との間に一・六五メートルの間隔をとつて追い抜きを始め、接触した直前では、一・一五メートルの間隔があつたとして関係地点の指示説明をしているが、本件事故直後の指示説明を記載したと認められる司法巡査作成の実況見分調書の関係地点と対比して、かなり異なつており信用できない。また、原審の検証調書第3図には、「〈ニ〉点における自転車ハンドルの右グリツプの先端から加害車両左側フエンダーまでの直近距離は〇・四〇」と記載されているが、〇・六〇の誤記と認める)をとつて、その右側を時速約五キロメートルの低速で(後記のとおり、危険を感じて急制動をかけ、約一メートル進行して停止できたことから、時速約五キロメートルと推認する)並進をして追い抜きを開始し、サイドミラーで酒井の様子をうかがいつつ約一三・四メートル進行した時に、それまで被告人車よりも遅い速度で並進しつつあつた酒井が、突然にふらついて被告人車の方に倒れかかつてきたので、直ちに急制動をかけ、約一メートル進行して停止したこと、酒井がそのようにふらついて倒れかかる直前の時点では、同人の自転車ハンドルの右グリツプの先端と被告人車との間に約七〇センチメートルの間隔が保たれていたが、被告人は、路上に転倒した酒井の上半身が被告人車の左後輪前のアンダーアングル(防護柵)の下に入りこんできたためにこれを回避することができず、左後輪で酒井の胸部を轢圧し、公訴事実記載のように傷害を負わせ、そのため死亡させたこと、本件事故現場付近は、道路の幅員三・三八メートルであるが、道路北側には、幅員一三センチメートルのコンクリート製側溝縁、幅員四七ないし五〇センチメートルの有蓋側溝、幅員三〇センチメートルの土の部分(コンクリート製側溝縁を含む)と続いて、ブロツク塀が設けてあり、従つて、道路の北端からその北側のブロツク塀までの間に存するいわゆる余地の幅員が約九〇センチメートルであること(なお、前記ブロツク塀は、高さ一・二六メートル、その西側が石垣となつており、石垣の基部がブロツク塀よりも道路側に約一一センチメートル出ているので、余地の幅員はそれだけ小さくなつている)、前記側溝の蓋は、幅四三ないし四五センチメートル、長さ四七ないし五〇センチメートルのコンクリート製で、道路面とほぼ同じ平面になるように並べてあるが、各蓋の間にも高低差があつたりして平面が一定しておらず、側溝縁との間に一ないし二センチメートル(中には四・五センチメートルある所もある)の隙間があり、各蓋の間にも隙間があるなどで不揃いであり、殊に本件事故地点付近にある一枚の蓋は、約二センチメートル高く出ておるとともに、側溝縁に置かれた石につかえて少しぐらついているのであつて、このような側溝の蓋の上を自転車が安全に通行できるとはみられず、ましてその自転車の側方を、大型貨物自動車が六〇ないし七〇センチメートルの近接した間隔をとつて追い抜くことは、両側からはさまれた形になり、過度の緊張感を与えることになつて危険であるとみられること(なお、側溝の蓋の状況は、本件事故当時と原審及び当審の各検証の時とでは、その間に溝掃除などがあつてその並べ方に多少のずれがあるが、その点は、本件の判断において格別考慮を要する程の影響を与えないと認める)、酒井は、前記のとおり被告人から警音器を吹鳴されて道路上から有蓋側溝上に進路を変更させられたのであるが、その地点より約二〇メートル東方(進行方向)には、前記ブロツク壁が切れて空地に通ずる広い入口があり、また道路の反対側(南側)は、道路幅を広げた待避所になつており、そこでは安全に追い抜くことができるのであるから、酒井もそのような場所で被告人車を避けようとしていたものとみられ、有蓋側溝上の走行という事態は、同人にとつては、警笛の吹鳴によりやむをえずとつた避譲の措置であつたとみられるところ、被告人としては、その当時、格別急ぐ必要がなかつたのであるから、酒井に対しそのような避譲の措置を無理にとらすことなく、安全な場所に至るまで追い抜きを差し控えることが極めて容易にできたこと、酒井が転倒したのは、被告人車を避けて緩やかに進行していた際に、前記のとおり約二センチメートル高く出ていて、少しぐらついている蓋にハンドルをとられて運転の自由を失い、周章狼狽して自転車を支える余裕もなく、自転車に乗つたまま路上に倒れたことによるものとみられるが、同人のその場所での転倒は、前記のような追い抜きの状況のもとにおいては、普通にありうることとして当然に予測可能であること(なお、司法巡査作成の実況見分調書、並びに原審及び当審の各検証調書に記載されているブロツク塀の擦過痕は、酒井の自転車のハンドルやペタルによるとは思われず、本件事故との関係については不明である)、以上のような事実が認められる。

右認定事実によると、その付近は道路の幅員が狭く、有蓋側溝上に進路を変えて避譲した酒井が、自転車の安定を失つて転倒する危険が十分に予測されたのであり、かつその約二〇メートル先には安全に避譲できる場所があつたのであるから、自動車運転者としては、追い抜きを暫時差し控えるべき業務上の注意義務があつたというべきであるところ、被告人は、酒井が転倒する危険を全く予測せず、あえて無理な追い抜きをしたために、側溝の蓋に自転車のハンドルをとられて運転の自由を失い、狼狽して自転車に乗つたまま路上に転倒した酒井を自車左後輪で轢圧し、その結果、同人を死亡させたというのであるから、被告人の右業務上の注意義務違反による本件業務上過失致死の公訴事実は、優に肯認することができるといわねばならない。然るに、原判決は、被告人にそのような業務上の注意義務の懈怠が認められないとして、被告人に対し無罪を言い渡したが、これは事実を誤認し、刑法二一一条の解釈を誤つたものというべく、右過誤が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

前記公訴事実のうち、「警音器を吹鳴したのみで、時速約一三キロメートルに加速してその右側方を追い抜こうとした過失により」とあるを、「警音器を吹鳴し、時速約五キロメートルの低速でその右側方を追い抜こうとした過失により」と訂正するほか、右公訴事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号(禁錮刑選択)、刑法二五条一項一号、刑訴法一八一条一項本文

よつて主文のとおり判決する。

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